守谷城推定復元模型


守谷城(概要)
守谷城跡遠望
 守谷城(もりやじょう)は、茨城県守谷市本町にあった戦国時代の平山城で、千葉氏の一族である下総相馬氏の本拠地です。相馬氏の先祖にあたる平将門が坂東独立王国の王城として築いたという伝承もあります。
 相馬治胤の代には古河公方の下に属して関宿城の簗田氏の与力として「古河衆」に組み込まれ各地を転戦しました。その後は北条氏に心中しましたが、小田原征伐後に相馬氏は没落することとなり、徳川家康の関東入封の際には土岐(菅沼)定政が1万石で入城しました。
 元和3年(1617年)土岐定義の時に摂津国高槻城に転封となり、一時幕府直轄領となりましたが、元和5年(1619年)定義が没して土岐頼行が家督を継ぐと幼小であったことから一万石に減封され守谷藩へと移されました。寛永5年(1628年)土岐頼行は出羽国上山へ転封となり守谷城は廃城となりました。
 古城部分が「 守谷址公園」として整備されており空堀などが確認できます。江戸時代の城跡については宅地化が進み、遺構はほとんど残っていませんが、守谷小学校前に土塁と案内板があります。また校内には船着場の跡が残っています。守谷市指定史跡(昭和48年9月8日)。

守谷城(推定復元模型・縄張図)
 模型は縮尺1/3300、外枠寸法は幅209o×奥行157.5o×高さ13oのほぼA5サイズの大きさ。台枠はフォトフレームを使用し、素材は、スチレン・木・ペーパー、樹脂粘土、等です。(所蔵:田渕洋治 製作:岡田英樹)
守谷城推定復元模型
守谷城縄張図
守谷城縄張図
守谷城推定復元模型  模型は台座にゴム足(t=3mm)を取付けています。(アクリルBOX未組込み)
 名称銘板は、城郭名称と縮尺を記入したものを東急ハンズ新宿店デザイン工房に特注しました。寸法は、50×10mmで板厚0.5mmです。
 方位板は、長谷川模型に特注です。アクリル製で直径10mm、厚さ2mmです。1個324円(税込)ですから10個まとめて発注です。

守谷城(航空写真・地図)
守谷城跡航空写真
守谷城跡地図

守谷城(YouTube)