小幡城推定復元模型


小幡城(概要)
小幡城跡遠望
 小幡城(おばたじょう)は、茨城県東茨城郡茨城町の寛政川に面した標高25m( 比高10m )の台地の東端に築かれた室町時代の平山城(丘城)です。応永24年(1417年)に常陸大掾詮幹(だいじょうのりもと)の三男義幹(よしもと)が築いたとも、鎌倉時代に小田知重の三男光重が築いたともいわれてますが、詳細は不明です。
 室町時代には大橡氏の持ち城でしたが、文明13年(1481年)に小田氏・大掾氏の連合軍が合戦で江戸通雅に敗れ江戸氏の持ち城となり、その後府中城の大掾氏を攻略する拠点として整備されました。
 豊臣秀吉の小田原北条氏攻めの後、佐竹氏は秀吉から常陸54万石の所領を安堵されたましたが、その際、水戸城を居城としていた江戸氏が開城の要求を拒んだために、佐竹義宣が水戸城を攻め落城させました。その後間もなく小幡城も落城し、以後佐竹氏の支城となりました。
 しかし関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)、佐竹義宣は出羽久保田へと転封になった際に小幡城は廃城となりました。
 小幡城は郭、空堀、土塁、土橋、井戸といった中世城郭の遺構がほぼ完全な状態で残っています。茨城町指定史跡(昭和45年1月12日指定)。

小幡城(推定復元模型・縄張図)
 模型は縮尺1/3700、外枠寸法は幅209o×奥行157.5o×高さ13oのほぼA5サイズの大きさ。台枠はフォトフレームを使用し、素材は、スチレン・木・ペーパー、樹脂粘土、等です。(所蔵:田渕洋治 製作:岡田英樹)
小幡城跡案内板
小幡城推定復元模型  模型は台座にゴム足(t=3mm)を取付けています。(アクリルBOX未組込み)
 名称銘板は、城郭名称と縮尺を記入したものを東急ハンズ新宿店デザイン工房に特注しました。寸法は、50×10mmで板厚0.5mmです。
 方位板は、長谷川模型に特注です。アクリル製で直径10mm、厚さ2mmです。1個324円(税込)ですから10個まとめて発注です。

小幡城(地図)
小幡城跡地図

小幡城(YouTube)