勝幡城推定復元模型


勝幡城(概要)
勝幡城跡  勝幡城(しょばたじょう)は、永正年中(1504年〜1521年)織田弾正忠信定によって築かれたと伝えられています。信定は岩倉城主織田敏信の弟で、初め小口城主となり木下城主を兼ねましたが、ここに築城して居住し、享禄元年に没したといわれています。信定の長子信秀は、永正5年この城に生まれ、父の没後その後を継ぎ、尾張守護斯波氏の三奉行として、清須に勤仕しました。
 勝幡城は、愛知県愛西市と稲沢市にまたがる地域が城跡と推定される単郭構造の方形居館(平城)で、その規模は「東西四十八間、南北七十間、大手口東西二重堀、四方に惣堀有、惣構の外南北百二十間、東西百十四間(『尾陽雑記』)」とあり、現在の愛西市勝幡町、稲沢市平和町六輪にまたがる地域が城跡と推定されています。
 しかしながら城郭の多くの部分が現日光川に位置するため、江戸時代に日光川の改修でほとんど消失しているため当時の縄張りは窺い辛くなっています。
 城のすぐそばを流れる日光川、三宅川、領内川などの水運が利用でき、織田家が勢力を伸ばすことができたのは、経済力豊かな津島の商人を支配できたからだとされています。この地で財力をつけた織田信秀は、今川氏から那古野城を奪い取って拠点を移し、その後勝幡城は廃城となりました。

勝幡城(推定復元模型)
 模型は縮尺1/3200、外枠寸法は幅209o×奥行157.5o×高さ13oのほぼA5サイズの大きさ。台枠はフォトフレームを使用し、素材は、スチレン・木・ペーパー、樹脂粘土、等です。コーナーに飾り金具を取り付けています。(所蔵:田渕洋治 製作:岡田英樹)
勝幡城推定復元模型
勝幡城推定復元模型  模型は台座にゴム足(t=3mm)を取付けています。(アクリルBOX未組込み)
 名称銘板は、城郭名称と縮尺を記入したものを東急ハンズ新宿店デザイン工房に特注しました。寸法は、50×10mmで板厚0.5mmです。
 方位板は、長谷川模型に特注です。アクリル製で直径10mm、厚さ2mmです。1個324円(税込)ですから10個まとめて発注です。

勝幡城(実景)
勝幡城跡実景

勝幡城(地図)
勝幡城跡地図

勝幡城(YouTube)