諏訪原城推定復元模型


諏訪原城(概要)
諏訪原城縄張り  諏訪原城(すわはらじょう)は、静岡県島田市金谷にあった戦国時代の平山城(丘城)で、諏訪之原城とも書き、天正元年(1573年)、武田勝頼が家臣の馬場美濃守氏勝に命じて築城しました。城内に武田家守護神の諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされています。
 徳川氏時代の城名は牧野城で、家忠日記には牧野城のほか牧野原城とも記載されています。東照宮御実紀(徳川実紀)には、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載されています。
 武田勝頼は、この諏訪原城を遠江攻略の拠点として、天正2年(1574年)5月に甲州を出発、小山・相良を経て12日には早くも高天神城を包囲して激闘1ヶ月余りで開城せしめました。
 しかしながら、翌天正3年(1575年)5月に三河長篠において織田・徳川連合軍に大敗を喫し、馬場美濃守など武田家譜代の重臣の多くを失いました。徳川勢は長篠での戦勝の勢いを得て、二俣城、光明城などを攻略しつつ、遂に諏訪原城に迫りました。守将今福丹波守は室賀一葉軒などと共に防戦の末、吉田の小山城に退却しましたが、その間の1ヶ月は援軍も望めない諏訪原城において寡兵よく戦いました。この戦闘で家康は安倍元真の進言にり、安倍郡梅ヶ島の金山の鉱夫を使い城内に坑道を掘って攻め込み、落城させたと言われています。
諏訪原城丸馬出  諏訪原城はこの戦いで徳川氏の持城となり、松井忠次が家康の命で松平周防守康親と名乗り城将となって城名も牧野原城と改めました。その後は、徳川氏の関東移封により天正末期に廃城になりました。
 諏訪原城は標高は219m(金谷との比高は135m)の扇状の形をした平山城(丘城)で、別名「扇城」とも言われ、南北580m、東西1400mの面積を有し、深さ3〜7m、幅6〜14m、長さ20〜70mに及ぶ大空堀や水掘の跡が数箇所にわたり構築されています。建築物等は残っていないものの、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残り、甲州流築城法を知る上で貴重なものとなっています。(昭和50年(1975年)11月25日:国指定史跡)

諏訪原城(推定復元模型)
 模型は縮尺1/4400、外枠寸法は幅209o×奥行157.5o×高さ28oのほぼA5サイズの大きさ。台枠はフォトフレームを使用し、素材は、スチレン・木・ペーパー、樹脂粘土、等です。(製作:岡田英樹 所蔵:田渕洋治)
諏訪原城推定復元模型
諏訪原城推定復元模型  模型は特注アクリルケースに収納しました。アクリルカバーは、外形寸法は幅235×奥行184×高さ130mm、板厚3mmで、30mm厚の台座付きで、重量750g、アクリ屋ドットコムに特注しました。アクリルカバーは台座に嵌め込む方式ではなく、台座側面に外からネジ止めで固定する方式です。製作費は8,160円(税込)。模型は台座にゴム足を介して接着固定しています。
 名称銘板は、城郭名称と縮尺を記入したものを東急ハンズ新宿店デザイン工房に特注しました。寸法は、50×10mmで板厚0.5mmです。方位板は、長谷川模型に特注です。アクリル製で直径10mm、厚さ2mmです。1個324円(税込)ですから10個まとめて発注です。
 アクリルケースに入れると博物館の展示模型のようになり、見栄えが格段に向上します。
(展示ケース組込み:田渕洋治)

諏訪原城(縄張り・城址)
諏訪原城縄張り
諏訪原城縄張り
諏訪原城址

諏訪原城(地図・航空写真)
諏訪原城址空中写真

諏訪原城(YouTube)

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